カリスマ相場師?の舞台裏①ヒューネット、タカキュー編

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12月の論壇に続き、先日は二階堂ドットコムにて山種裏ファンド事件を紹介して頂き、おかげさまでたくさんの方にブログの存在を知ってもらえました。
まとめサイトにて事件の全容を把握して頂けるようになっていますが、そもそも事件の舞台となった掲示板の成り立ちや、山種の腕はどうだったのかに焦点をあてて、掘り下げてみたいと思います。
山種板こと『いつもふ〜らふら山種空男と株とサウナとおね〜ちゃん』は昨年末をもって閉鎖され、今はもう閲覧する事ができません。
私自身も掲示板の存在を知ったのはほんの数年前の事でしたので、今回数人の方にヒアリングして、その歴史をまとめてみました。
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そもそも『山種空男』を名乗りだしのは山種板が出来る以前のことで、最初の登場は『黒掲』(現在の仕手株掲示板改ニ)で、1998年頃であり、「当たり前田のクラッカー」だの「グーナイ」などの決まり文句はその頃からの物でした。
黒掲に書き込む一方、お気楽掲示板やお気楽売り専にもちょくちょく姿を見せ、山種空男の他に「桃太郎」「洋子」などのHNで他人を誹謗中傷したりネカマになったりと、忙しい日々を送っていたようです。
お気楽掲示板での伝説のヒューネット事件では、彗星のごとく現れたjin氏の提灯をすすんでつとめ、ヒューネットの液晶を絶賛し、さも情報を掴んでいるかのごとく書き込み(実際は手口以外の情報は何もなかった)、急落場面でもヒューネットの素晴らしさを叫び続けていました。
振り返れば単純にjin氏に踊らされていただけで、非難の矛先が自分に向かうや、「俺はとっくに売った」だの「売れと書き込んだ」だの、後講釈と言い訳を繰り返すばかり。